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モンゴル語における消滅の危機

 

originally written on 1999/09/29
revised on 2001/02/11

Yet Another Mongolia (c)ASIMURA Takasi

概要

一般にモンゴル語といえば,モンゴル国の国語としてしられており,とても,消滅の危機に瀕した言語という文脈に,そぐわない印象をうける。ところが,モンゴル国のモンゴル人は,全モンゴル族の一部分にすぎず,それ以上の数のモンゴル族が,隣国のロシア,中国にすんでいる。彼らは,ロシア人,漢族という大民族の中でくらしているため,母語の使用範囲は,モンゴル国のモンゴル人にくらべ,いちじるしくせまくなっている。

ここでは,中国の内モンゴル自治区に焦点をしぼり,この地域における,モンゴル語の危機的な状態を,考察してみる。内モンゴルのモンゴル語のほとんどは,下手をすると,あと,1世代か2世代で,ほぼ消滅してしまうかも知れない,そういう状況にあるといってもよい。

今回のこの考察では,この地域の歴史,社会よりも,モンゴル人同士の関係に,目をむけたいと,おもう。このような状況をみちびきだしてしまったのは,一面では,モンゴル人自らの性格もあるようだからである。

 


 

目次

 

はじめに

内モンゴル

二重構造の対立

モンゴル国との対立

内モンゴル内の東西対立

内モンゴルにおけるモンゴル語の運命

参考文献


  はじめに

モンゴル族の居住範囲は,とてもひろく,また,そのひろさにあわせるようにして,生活形態も,それぞれ大きくことなる。大草原でモンゴルゲルにすみ,伝統的な遊牧生活をいとなむモンゴル人がいるかとおもえば,土かべの家にすみ農業をいとなむモンゴル人もいるという具合に,我々がモンゴルに対してもっているイメージを,いとも簡単にぶちこわしてくれる。

モンゴルというと,独立国である「モンゴル国(1997年末の時点で,人口は,238万人)」が,おもいうかぶが,実は,ロシア,中国にすむモンゴル人の方が,人口は多い。とくに,中華人民共和国には,内モンゴル自治区をはじめとして,黒龍江省,吉林省,甘粛省,青海省,新彊ウイグル自治区などに480万人のモンゴル人がくらしている(1989年の人口調査によるもの。)

今回は,私が,19948月から199612月まで留学していた,内モンゴルの状況を,のべてみたいとおもう。

内モンゴル

内モンゴル自治区は,1989年の時点で,人口2145万人で,そのうち,漢族は1729万人,モンゴル族は337万人である。

モンゴル族の自治区であり,公共施設などの看板は,モンゴル語,漢語の2言語で書かれている。だが,日常生活で,モンゴル語をつかう機会は,まったくなく,漢語をしらなければ,何もできない。一応,教育は,漢語,モンゴル語の両方で受けることができるようになっており,特に、地方では,モンゴル語で教育を受けることは,それほどむずかしいことではない。だが,都市部では逆に,漢族が圧倒的なため,モンゴル語で教育を受けることは,不可能に近い*1


*1 教育に関しては,フレルバートル(1997)にくわしい。

モンゴル語は,地方では,母語として広くつかわれている。都市部では,いくつかにわかれる。新しくできた工業都市(包頭,烏海)などでは,もっぱら漢語のみがつかわれている。古くからの地方都市だと,街では漢語でも,家ではモンゴル語ということがおおい。

自治区の区都フフホトの状況は,多少複雑である。街で,モンゴル語を聞くことはまずないが,大学がいくつか集まっている南の地区では,大学の教職員,学生が集まっており,モンゴル人もおおいため,モンゴル人のための商店・食堂もあり,モンゴル語が非常におおくきかれ,一種のモンゴル人コミュニティを形成している *1


*1 ただ,私の帰国後,この地域の美化を名目に,このようなモンゴル人商店が,次々と立ち退きをさせられているため,このコミュニティも,破壊されつつある。また,留学中に,この地域にあった,モンゴル語専門書店の店主が,政治活動のために,逮捕されている(http://www.innermongolia.org/)。

       二重構造の,方言対立

さて,圧倒的な数の漢族の中でくらしているため,ただでさえ,言語維持が困難な状況にくわえ,内モンゴル特有の,方言の対立が,それに,おいうちをかける。その対立は,モンゴル国に対するものと,内モンゴル内部のものとがある。ここでは,この2つの側面を順にみていくことにしよう。

モンゴル国との対立

内モンゴルにすむほとんどのモンゴル人は,モンゴル国に対して劣等感を感じている。漢族にまじってくらしているために,どうしても,生活形態や風習が,いわゆる「純粋な」モンゴルのものとは,ことなるからである。例えば,生活形態をみてみると,農耕か *1,半農半牧か *2,定住化した牧畜 *3がほとんどで,我々が普通おもいえがく,モンゴル国のような遊牧は,中央のシリンゴル盟の一部や,東のホロンボイル盟ぐらいでしか,おこなわれていない。


*1 赤峰市,通遼市,ヒャンガン盟など,大興安嶺の南側
*2
赤峰市,シリンゴル盟の南部,ウラーンチャブ盟,バヤンノール盟など
*3
シリンゴル盟の南部,ウラーンチャブ盟,バヤンノール盟,アラシャン盟,イフジョー盟など

 

一方,モンゴル国のモンゴル人には,「内モンゴルには,もうモンゴル人がいない」,「みんな漢化されてしまった」というおもいこみがある。また,そこまでおもいこんでいなくても,やはり,「生っ粋の」モンゴル人ではなく,なにか,まがいもののような印象をもっていることはたしかである。

そうおもわせるのは,特に言葉である。音声的にも,かなりのちがいがあるのだが,彼らが問題にするのは,むしろ,語彙と文法である。内モンゴルの方言には,程度の差こそあれ,漢語借用語がかなり入っているため,胡散くさいものにきこえる。また,文法的な面でも差があり,漢語の影響で簡略化された,「不完全なモンゴル語」という印象をあたえる *1


*1 研究者もふくめて,簡単に簡略化ということがおおいが,本当に簡略化なのか,それとも,ちがうものなのか,一度みなおす必要がある。

モンゴル語は,方言差がはげしくても,おたがいがあゆみよることで,意思疎通が可能になる言語で,それを一方的に,簡略化といっている面もあるからである。これは,内モンゴルの中でもおなじで,地方の話者が,標準語ではなそうとする時に,細かいニュアンスのない表現になるため,「モンゴル語ができない」とバカにされることがおおい。内モンゴルの状況に関しては,東西対立を参照。

 

このため,内モンゴルのモンゴル人が,モンゴル国へいくと,まずは,言葉の面でバカにされ,続いて,生活習慣の面でバカにされ,自信をうしなってもどってくるのである。

かといって,バカにされ通しでもない。内モンゴルのモンゴル人が,モンゴル国で,白菜をかう笑い話がある。

 

内モンゴルのモンゴル人: "ツァガーン(白)ノゴー(野菜)"(白菜)は,ありますか?」(内モンゴルではモンゴル語を用いる)

モンゴル国の八百屋: 「え?」

内モンゴルのモンゴル人: 「あ,それですよ(指さして)」

モンゴル国の八百屋: 「ああ,バイツァー(漢語で白菜)だね」

内モンゴルのモンゴル人: 「えっ,漢語でいうんですか」

モンゴル国の八百屋: 「なんだい,こりゃ漢語かい」

 

日頃,漢語ではバカにされているので,こんな笑い話をして,溜飲をさげるのである。

さらに,モンゴル国の方言が,外来語もなく,ほとんどモンゴル語だけかというと,決してそうではない。モンゴル国では,キリル文字をつかい,ソ連邦崩壊までは,第二外国語として,ロシア語を勉強してきたために,ロシア語からの外来語が,非常におおく,中には,モンゴル語ととりかわってしまったものもある。

また,現在は,英語も人気があるため,英語からの外来語が,めだってふえつつある。特に,あたらしい技術・概念に関するものは,わざわざ,モンゴル語に翻訳することはなく,英語のかたちのままである(内モンゴルでは,このような場合,漢語がそのままはいってくる)。

であるから,内モンゴルの人たちから見れば,「モンゴル国だって,自分達とおなじようなものではないか」と,感じるのである。しかし,モンゴル国の人たちの方が,自信ありげで,自分の正統性を主張し,また,たしかに,生活形態などは,自分達の方が,うしなったものがおおいため,旗色がわるいのである。

内モンゴル内の東西対立

さらに,おなじような対立が,内モンゴルにもちこまれる。こちらはもっとはっきりした対立で,「農耕(東)」対「牧畜(西)」である。

内モンゴルは,大雑把にわけると,東部の農耕地帯と,それ以外の牧畜地帯とにわかれるが,この時,異端視されるのは,農耕地帯の方である。

内モンゴルにくらすと,「東のモンゴルは...」というセリフは,しょっちゅう聞かれるが,「西は...」というセリフは,まず聞くことがない*1     「東」に関するコメントも,ほとんど決まっている。「東のモンゴル人は,純粋なモンゴル人ではない。なぜなら,かれらは遊牧をせず,農耕をいとなんでいる。おまけに,ことばは漢語まじり。どうきいても,あれはモンゴル語ではない」などなど。


*1 ここで,言語学の表現を用いるならば,「東」は"marked"で,「西」は"unmarked"であると言える。

 

モンゴル人は,農耕を「漢族のもの」とみる傾向がつよいため,東部のモンゴル族は,「本当の」モンゴル人と,みなされないのである。しかも,この地域の方言は,漢語の借用率が異常にたかく,なにもしらない人が聞いたら,漢語とモンゴル語のピジン言語かと,勘違いをしてしまいそうなほどである*1。東のモンゴル人のことを,モンゴル語ができないとおもうのも,無理もない。


*1 ちょうど,日本語から漢語をなくしてしまったら,なにもいえなくなってしまうのとおなじである。

 

私の友人(シリンゴル盟アバガ旗。完全な遊牧生活をおくっている)が次のようなエピソードを語ってくれたが,これは,このような「東の」モンゴル語に対する思い込みの良い例である。

かれの親戚に,あたらしく東からお嫁さんがくることになった。おそらく,日頃,東のモンゴル語についてきいていたせいであろう,かれはおかあさんに,つぎのようにたずねた。

彼:「ねえ,おかあさん。東の人って,やっぱりモンゴル語でしゃべるの?」

母:「いいや」

彼:「じゃあ,漢語をしゃべるの?」

母:「いいや」

彼:「それじゃあ,いったい何語でしゃべるの!?

彼いわく,そのお嫁さんのことばは,奇妙なものではあったが,やはり,モンゴル語だったそうだ...

だが,意外なことであるが,東のモンゴル人の中で,本当に漢語ができる人は,他の地域にくらべると,かなり少ない。つまり,彼らは,漢語借用語をモンゴル語だとおもいこんでいて,学校で漢語をならってはじめて,自分のモンゴル語が,漢語だらけだということに気付くのである*1。また,学校でならうモンゴル語は,遊牧地域の標準的なモンゴル語なので,語彙や文法が,かなり違う。そのため,自分達のモンゴル語は,いわゆるモンゴル語とは,少し違うのだという自覚が,自然とつくようになる。


*1 経済的な理由のため,学校へいけないものも,おおい。そのような人たちは,漢語が非常に不得手である。

 

それで,この地域からでないのであれば,特に問題はないのだが,たとえば,内モンゴル自治区の区都フフホトで,仕事や勉強のためにくらすとなると,彼らの苦労がはじまる。自分では普通にしゃべっているつもりなのだが,まわりのモンゴル人に,バカにされるのである。

人口の比率的には,東部出身のものが圧倒的におおいのだが,西部の方言の方が標準とみなされているので,旗色は,きわめてわるい。そこで,学校時代にならったモンゴル語をおもいだして,できるだけ,その通りにはなそうとするのであるが,やはり,完璧というわけではない。

だから,もし,フフホトで,たどたどしいモンゴル語を話す外国人をつかまえて,「あなたは私よりモンゴル語がうまい」と,手放しでほめたたえるモンゴル人をみかけたら,それはおそらく,東のモンゴル人とみてよい。外国人のならうモンゴル語は,モンゴル国の方言か,内モンゴルの標準方言であるから,どうしたって,自分の「東の」なまりのモンゴル語よりは,「きれい」なのである*1


*1 例えば,「本」,「鉛筆」といった,簡単な単語でさえ,漢語をつかうので,外国人が,それらを,ちゃんとモンゴル語の単語でいうのは,とても驚嘆すべきことなのである。

 

このように,「東」出身のモンゴル人は,差別されがちであるが,それでも,人口がおおく,しかも,進学熱がたかいため,研究機関や役所などに占める割合は,非常にたかい。だが,ここでも,問題がでてくる。放送や新聞に関わる「東部」出身のモンゴル人がおおいために,出版物などにあらわれるモンゴル語が,やはり,「東」のなまりをもっているのである。もちろん,漢語をそのまま取り入れているわけではないが,(本来はそれをあらわすモンゴル語があるはずなのに)漢語を翻訳借用したり,漢語の素養のない人には,理解がむずかしい文などが,でてくるのである。そして,それを,「西」のモンゴル人は,「モンゴル語がみだれている」といって,非難するのである。

内モンゴルにおけるモンゴル語の運命

そんな方言間の対立が,なぜ,言語消滅に関係するのであろうか。実は,西部は,シリンゴル盟の一部をのぞいて,非常に土地がやせており,牧畜をする条件が非常にわるい。そして,人口密度がまばらなため,漢族がどんどん入り込んできて,今までのような暮らしをつづけることが,非常に困難になってきているのである。若い世代では,漢語とのバイリンガルは,あたりまえで,都市で仕事をみつけるには,漢語が流暢でなければならないので,漢語優勢の状態は,つよまるばかりである。

逆に,東部は,農耕をしていることもあって,モンゴル人はかたまってくらしており,しかも人口密度もたかいため,漢族のはいりこむ余地がないため,モンゴル人だけで,暮らしをすることが当たり前のような環境である。漢語をまったくしらないものの方が普通で,たとえ,学校でならっていても,実際につかう場面はそれほどないために,もっぱらモンゴル語のみで,生活をすることになる。

つまり,漢語まみれの東部方言は,まだ,その生命力はつよく,おそらく,安泰であるのに対し,「正統性」をほこる西部の方言は,あと一世代,二世代で,消えてしまう可能性が強いのである。

一番深刻なのは,都市部である。都市部は,完全に漢族の世界になっており,区都のフフホトでさえ,モンゴル語で教育を受けるのは,ほとんど不可能といってもよい状況である。たとえ,家庭で努力をしたとしても,限界があり,東部方言のように,どんどん漢語を取り入れて,結局,モンゴル人なのにモンゴル語ができないとバカにされるはめになる。どうがんばったところで,モンゴル語は無駄になってしまうので,都市部では,よっぽどのことがない限り,モンゴル語はすてさられることになってしまう。

もちろん,西部の人ほど,危機感をもっている。しかし,現実を前に,呆然とすることしかできない。おなじモンゴル語系のダウル族などは,人口は9万4千人と,モンゴル族よりもはるかに少ないが,それほどの危機感はない。なぜかといえば,昔から,大言語の中でくらすのになれており,状況による言語のつかいわけが,しっかりとできているからである。それに対し,モンゴル族の場合,もともと他言語の中で生きてきたとはいえ,圧倒的少数になったのは,これが初めてで,なにをどうしたらよいのか,まったく見当もつかないのである。

モンゴル人がおたがい協力しあって,状況を改善することはできるのであろうか。答えは,悲観的にならざるを得ない。

もちろん,そんなことをすれば,政治的に危険だということもあるが,それ以前に,先ほどの,東西対立のために,団結するどころか,仲たがいになる可能性の方がたかいのである。

もし,モンゴル語を生命力のあるものにするのであれば,漢語借用は,内モンゴルの場合,どうしても避けられないことである。また,人口的にも一番優勢なのは,東部の方言であるから,東部の方言が,多少とも,大手をふるってつかわれるようになれば,それが,一番実情にあうはずであろう。

ただ,東部方言は,一番醜い方言であるから,そのようなことは,西部の人たちのプライドが許さないであろうし,東部のモンゴル人自身でさえ,思いつきもしないであろう。しかも,モンゴル国の存在を気にすると,あまり,漢語をつかうのも気がひける。

自分で自分の首を絞めているような状況なのである。

 

参考文献:

中国社会科学院民族研究所他編

1994 『中国少数民族語言使用状況』 中国蔵学出版社

フフバートル

1999 「『内蒙古』という概念の政治性」『ことばと社会』1号 p.p.40--59 三元社

フレルバートル

1997 「内モンゴル自治区の民族教育をめぐる諸問題」 『言語・国家,そして権力』(田中克彦他編) p.p.91--105 ライブラリ 相関社会科学 4 新世社

 

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