シンナのペンアメリカンセンターへの手紙
2008年8月
7日,
SMHRIC英訳
ニューヨーク
下記のシンナ氏よりの手紙はペンアメリカンセンターがニューヨークで主催した‘オリンピック前夜に中国で監獄中の作家たちを応援しよう’というテーマの大規模記念活動の際に作家Rick
Moodyにより朗読された。
親愛なるペンの友人たち:
私はシンナと申します。投獄されたモンゴル人作家ハダの妻です。
1990年代早期に主人と私は所謂‘内モンゴル自治区’の首府フフホト市内で‘モンゴル文化書店’という本屋を経営していました。数多くのモンゴル人学者と知識人たちは中国政府のモンゴル人に行っている政治弾圧と文化同化政策に強い危機感を抱き、弊店で集まり意見を交換していました。
1992年に主人がモンゴル文化、伝統とアイデンテイテイーを守る目的で中国の憲法と民族自治法に基づき、‘南モンゴル連盟’(SMDA)という組織を創りました。そのあと主人が‘南モンゴルの行方’という本を書き、‘南モンゴルの声’という雑誌を編集しました。
1995年の12月10日に自由世界の人々が世界人権日を祝福しているとき、十何人の警察が弊店を襲撃し、主人を逮捕しました。その次の日に百人以上のモンゴル学生たちがフフホト市内で抗議デモを行ったが、中国安全当局が数百人の警察と百台以上の車を派遣し抗議者を逮捕しました。新しい鎮圧がこう始まりました。
一年の拘束後に主人が‘スパイ罪’‘国家分離罪’などで15年の判決を言い渡され、もう一人のSMDAのメンバーのテクシ氏は10年の懲役を言い渡されました。ハダは弁護士を雇い、自分を守ることも許されず、私たちのすべての上訴が何の法律根拠と手続きもなしで拒否されました。
今ハダは内モンゴル第4監獄で服役しています。中国監獄法では家族が服役者を一か月に二回面会できるという条例があるにもかかわらず、過去の12年間に息子ウイリスと私は主人と定期的に面会することが許されませんでした。
1995年に主人が逮捕されて以来、私と息子が中国公安当局と安全当局の虐待するターゲットとなってきました。何回も根拠と法律手続きないで監禁され、殴打されました。2002年に公安当局は息子を何の根拠と正式な法律手続きを経ずに‘強盗罪’で3年の服役を判決しました。私たちは弁護士を雇い、自分を守ることも許されませんでした。私が息子を裁判する法廷が開く30分前に通知されました。
主人の獄内状況は全然改善されていません。彼が日常的に虐待されています。彼は頻繁に独房監禁(一人部屋の狭い光もない特別な部屋)状態に置かれ、長い時66日間も狭くで暗い独房で監禁されました。主人はテレビがない、新聞も読むことが出来ません。彼の健康状態は悪化しています。消化システムと神経システムの病気に悩まされ、治療を受けたことがありません。最近彼の足に痛みが持続し、視力も低下しています。今年の1月20日に監獄当局は主人を所属不明な病院に連れて行って健康診断を行ったそうです。病院中で彼はずっと手錠と足鎖をかけられした。健康診断の結果を私か息子のウイリスに知らせませんでしたし、またハダ本人にも見せたことがありません。
主人を訪れるたびに彼の状況はよくなったことがありません。私たちを励ましてこの非常に過酷な運命を乗り越える唯一なことは、主人は信念を変えないことです。主人の顔から笑顔を見たことがありませんでした。しかし前回私は主人に世界中の自由を愛する人々が私たちを励まし、私たちを応援していることを言ったときに、彼は笑顔が浮かべてくれました。
ありがとうごじました。
シンナ、ハダの妻、
フフホト、
2008年7月19日