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 モンゴル・レター

No.20 2002/12/17 (準備版・週刊)

 

合州国議会中国委員会でのIMPP代表による演説

 (前略)まず、モンゴル南部とそこに居住するモンゴル人が13世紀に存在したモンゴル帝国の一部であること、そこが「内モンゴル」と呼ばれていることをここで明確にしておきたいと思います。1947年、中国政府はモンゴル人の意志に反し、内モンゴル自治区を成立させました。それ以来、内モンゴルのモンゴル人は、民族としての参政権、公民権など個人の人権が奪われてきたのです。半世紀以上にわたり、内モンゴルのモンゴル人は民族史における最も恐ろしい事件を目撃することになりました。それらは、罪なき市民の大量殺戮、宗教施設の完全な破壊、モンゴルの文化と伝統を滅亡の縁に追いやる計画的、強制的な同化政策、草原の壊滅的な破壊などです。

 それでは、私たちがとくに注目している2つのケースを紹介します。1つ目は、ハダ氏とテクシ氏のケースです。1992年、ハダ氏、テクシ氏とモンゴル人の学生および文化人らが南モンゴル民主連盟(SMDA)を設立しました。SMDAの目標は、内モンゴルのモンゴル語と歴史、文化を振興して保存すること、そして、モンゴル人に公民権および参政権を獲得することでした。

 199512月、内モンゴルのモンゴル人に対する中国政府の圧政に反対して平和的デモと大学における学生ストを組織したかどで、ハダ、テクシ両氏およびSMDAのメンバーと支持者70名以上が逮捕されました。1996126日、ハダ氏は分離主義を煽動した罪で告発され、15年の禁固刑を宣告されました。テクシ氏も同罪で告発され、禁固刑10年の判決を受けました。テクシ氏の所在は現在も不明です。

 ハダ氏夫人シンナによれば、ハダ氏は看守から持続的な虐待をうけ、肉体的に苦しんでいるといいます。シンナ夫人も「ボイス・オブ・アメリカ」や「ラジオ・フリー・アジア」などの外国メディアのインタビューをうけたため何度も逮捕されています。ハダ氏らの所有していた書店は閉鎖され、シンナ夫人と息子のウイルスは生活手段を奪われました。2001年、16歳のウイルスは、明確な説明のないまま学校を退学処分になりました。200112月下旬、ウイルスは強盗容疑で逮捕され、正式な裁判なしで禁固刑2年の判決をうけました。シンナ夫人によれば、看守がウイルスを何度もなぐったそうです。

 2つ目のケースは、中国政府が現在すすめているモンゴル牧民の強制移住に関するものです。近年、北方からのひどい砂嵐が頻発するようになり、中国の大きな問題になっています。内モンゴルから近いために北京は砂嵐におそわれる主要都市のひとつになっています。北京の政府高官は自分たちがそれにおびやかされるまで、この問題を長く無視し続けてきました。ところが、内モンゴルに対する自分たちの政策ではなく、モンゴルの牧民とその家畜を非難しています。1950年代はじめ以来、中国政府は内モンゴル占領を既成事実にするため、漢人を大量に移住させました。ほとんどの漢人は農民で、彼らの唯一の生業は土地を耕すことです。内モンゴル草原は土地の表土をはがす耕作には適さないため、農業をはじめてほんの23年後に沙漠に変わり、それがいま中国の首都の脅威となっているのです。

 中国政府は「砂嵐の要因は過放牧である」という口実で、2年前からモンゴルの牧民を強制的に移住させる計画をはじめた。新華社によると、計画では6年間におよそ65万人を移住させ、そのほとんどがモンゴルの牧民であるという。内モンゴルの9アイマグのひとつ(ジレム・アイマグ=編集者注)はすでに牧畜の完全禁止が宣言された。私たちが内モンゴルから入手した報告書は、モンゴルの牧民が政府から何のサポートもうけず家畜の売却を強要され、自らの牧地を離れ、見ず知らずの土地で慣れない生活を強制されていると伝えています。

 委員会のメンバーの皆さま、ハダとテクシ両氏は中国で10年以上の禁固刑に服している数少ない政治犯です。私は委員会および合州国議会に、中国高官との面談の際に彼らのケースを取りあげていただくようお願いするものです。また、中国政府に対してモンゴルの牧民を対象にした移住計画をやめること、さらに、既移住者たちへの十分な支援と助成を提供するよう促すことをお願いするものです。ご静聴ありがとうございました。(演説は2002.12.9 ワシントンDCにて、12.12付英語メールより訳出)

 

 [編集・発行] SMHRICOSAKA

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