2014年5月1日 |
【中国・内モンゴル自治区=山内孝紀福井新聞記者】福井高専、中国歴史博物館(北京)
などの日中合同チームは三十、一の両日、同自治区東部の巴林(バーリン)左旗で、チンギス・ハンの名を冠する「金の長城」などの遺跡群の探査に着手した。専用機材で遺構の土壌成分を測定した結果、雨風に対し非常にもろい土質であることが分かり、早期の保存措置の必要性を確認した。
調査データを基に今後、人工衛星を使い各遺跡の規模などを解明していくことで中国側と合意。ハザードマップ(災害予測地図)を作成し、宇宙からの恒久的な保存・監視システムを構築していく。遺跡保存にハザードマップを応用する試みは、実現すれば世界初という。
調査隊には、福井高専環境都市工学科の辻子裕二助教授(35)、武生市の地質コンサルタント、田中保士さん(63)ら本県の四人のほか、中国歴史博物館と中国科学院から三人が参加した。探査地点のバーリン左旗は北京から北北東約五百キロにある。
三十日午後、共同調査を進める内蒙古考古博物館の塔拉研究員ら四人と合流した。ミーティングでは辻子助教授のあいさつに続き、タラ(塔拉)研究員が「中日が力を合わせ、調査成功へ一致団結していこう」と呼び掛けた。早速、巴林左旗郊外にある「遼」(916~1125年)の都跡・遼上京遺跡に向かい、周囲約六キロにおよぶ広大な城壁の土質などを調べた。
翌一日には車で約三時間北側の山間部に移動。メーンとなる金の長城跡の探査を行った。長城は高さ 二~三メートル、幅五~七メートル。「金」(1115~1234年)の時代に繰り広げられた北方の蒙古族との攻防を物語る貴重な境壁で、「チンギス・ハン(成吉思汗)辺境遺跡」とも記される。
現地に立った辻子助教授らは、一面見渡す限りの草原の中で地平線まで続く遺構の壮観な眺めに圧倒された様子。日本から持ち込んだ測定器を使い土中の強度を分析し、遺構の幅や斜面の角度などを入念に調べた。タラ研究員によると、長城は内モンゴル東部から中部付近まで約二千キロあるとみられるが、実態は分かっていない。
調査データを基に今後、人工衛星を使い各遺跡の規模などを解明していくことで中国側と合意。ハザードマップ(災害予測地図)を作成し、宇宙からの恒久的な保存・監視システムを構築していく。遺跡保存にハザードマップを応用する試みは、実現すれば世界初という。
調査隊には、福井高専環境都市工学科の辻子裕二助教授(35)、武生市の地質コンサルタント、田中保士さん(63)ら本県の四人のほか、中国歴史博物館と中国科学院から三人が参加した。探査地点のバーリン左旗は北京から北北東約五百キロにある。
三十日午後、共同調査を進める内蒙古考古博物館の塔拉研究員ら四人と合流した。ミーティングでは辻子助教授のあいさつに続き、タラ(塔拉)研究員が「中日が力を合わせ、調査成功へ一致団結していこう」と呼び掛けた。早速、巴林左旗郊外にある「遼」(916~1125年)の都跡・遼上京遺跡に向かい、周囲約六キロにおよぶ広大な城壁の土質などを調べた。
翌一日には車で約三時間北側の山間部に移動。メーンとなる金の長城跡の探査を行った。長城は高さ 二~三メートル、幅五~七メートル。「金」(1115~1234年)の時代に繰り広げられた北方の蒙古族との攻防を物語る貴重な境壁で、「チンギス・ハン(成吉思汗)辺境遺跡」とも記される。
現地に立った辻子助教授らは、一面見渡す限りの草原の中で地平線まで続く遺構の壮観な眺めに圧倒された様子。日本から持ち込んだ測定器を使い土中の強度を分析し、遺構の幅や斜面の角度などを入念に調べた。タラ研究員によると、長城は内モンゴル東部から中部付近まで約二千キロあるとみられるが、実態は分かっていない。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/10years_ago/50171.html