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民族運動における歴史的パースペクティブの重要性 

 

星野昌裕

 

二〇〇六年二月末から三月初旬にかけて、「内モンゴル人民党」のメンバーが日本に集まり「特別会議」を開催した。内モンゴル人民党は、一九九七年三月にアメリカニュージャージー州のプリンストンで結成された。短期的な活動目的として民主的かつ平和的な方法による「中国共産党の内モンゴル統治」の終結を、中期的には中国の発展を見極めながら連邦制などによる協調関係の構築を、そして究極的には内モンゴルを独立国家とすることを政治アジェンダに掲げている。モンゴル国との政治統一を掲げておらず、内モンゴルに領域を限定した民族運動を展開している点が特徴的である。具体的な活動としては、インターネットによる情報発信や中国大使館前などでのデモンストレーションを通じて、中国で拘束されているモンゴル族の釈放、内モンゴルへの漢族移民の停止、モンゴルの伝統的遊牧文化の保護などを訴えている。こうした活動によって自らの運動に対する世界的な支援を獲得したい意向を示している。

内モンゴル人民党の組織や活動は、同党のホームページ1で確認できるが、そこで得られる情報から推察する限り、党の組織力や国際的認知度はまだまだ低い段階にあり、チベットやウイグルの国外組織と比較して、その脆弱性が目立っている。とくにここ数年間ホームページの更新も停滞しており、今春日本で開催された「特別会議」には唐突的な印象すら感じられたが、別の見方をすれば民族運動は簡単には消滅しないということでもあろう。

二〇〇六年二月二十六日付の「内モンゴル人民党東京宣言」2によれば、この会議で①「南モンゴル」3の自由と独立を実現するために引き続き非暴力を貫くこと、②内モンゴル人民党の本部をアメリカから日本に移すこと、③日本、ヨーロッパ、アメリカ、モンゴル国に支部を設立すること、④党の規約、制度、組織を刷新し整備すること、⑤臨時政府樹立のための準備を開始し、条件が整い次第「南モンゴル臨時政府」を樹立することなどが決められた。近年の中国少数民族運動の系譜からみて、活動拠点を日本においた例はほとんどみられない。例えば、チベット亡命政府はインドに、ウイグルの民族運動はアメリカやドイツを活動拠点としている。内モンゴルの問題はチベットやウイグルほどには政治化されていないが、今後の展開如何によっては日本が中国の民族問題に如何に対応していくかが問われることになるかもしれない。そのためには中国少数民族運動を歴史的に理解しようとする姿勢が求められる。

「内モンゴル人民党主席」をつとめるティムチルト氏は、一九五七年に内モンゴル東部で生まれた。早くから学生運動に参加し、一九八一年には内モンゴルへの漢族移住政策の撤回を求める運動の学生リーダーとなった。その後、一九九一年にドイツへ亡命し、九七年にアメリカで内モンゴル人民党を設立した。

内モンゴル人民党という名称は「内モンゴル人民革命党」 に由来している。内モンゴル人民革命党は一九二五年から三〇年代にかけて初期的な活動をみせ、戦後の一九四五年八月に再結成された。当初内外モンゴルの合併による独立を目指したが、その目標が挫折すると中国国民党や中国共産党との協力関係を模索するなど複雑な政治行動を展開した。一方、中国共産党は中国国民党との内戦において内モンゴルの戦略的重要性を認識しており、モンゴル族のベテラン共産党員ウランフを中心に政治交渉を重ねた。その結果、一九四七年五月に「内モンゴル共産党工作委員会」の設立と引き換えに内モンゴル人民革命党の解散が決まった。この後内モンゴルでは、共産党主導のもとに土地改革と牧地改革が進められ、内モンゴル各地に共産党組織が浸透していく契機となった。そして建国から二カ月後の一九四九年十二月には、「内モンゴル共産党」工作委員会が「中国共産党」中央内モンゴル分局に改編され、内モンゴルの各組織は制度上中国共産党中央に直属することになった。

このように、内モンゴル人民革命党は内モンゴルの独立や高度な自治の獲得といった当初の政治目的を達成することはできなかった。しかし、中国共産党との対抗軸として民族運動の指導的な役割を担ったことによって、内モンゴルの民族運動にとって、歴史的かつ象徴的な求心力として後世に名を残すことになったのである。したがって、一九九七年に設立された民族運動組織の名称が、「革命」の二文字をとった内モンゴル人民党とされたのは、歴史的な視点に立つと自然な流れであった。

さらに内モンゴル人民党というネーミングには、文化大革命の際に内モンゴルで展開された冤罪事件に対する抗議という意図も隠されていた。一九六七年十一月から全国規模で「階級隊列の純潔化運動」が展開されるなか、内モンゴルでは翌年から「内モンゴル人民革命党掘り出し運動」が実施された。この運動は、一九四七年五月に解散したはずの内モンゴル人民革命党が一九六〇年代にいたってもなお非合法なかたちで地下に潜伏し反共産党反革命反社会主義的な活動を継続しているとされ、これに関与しているとみられる人々を政治的かつ組織的に暴き出そうという政治運動であった。この運動はのちに冤罪事件であったとの評価が公的に下されたが、四人組裁判の過程で明らかにされたところによれば、この運動によって三十四万六千名が迫害を受け、死者は一万六千人にのぼり、犠牲者の多くがモンゴル族であった。文革を通じて自治区共産党員の民族構成は大きく変化し、文革前の六五年には党員総数二十八万名のうちモンゴル族党員が四万名であったが、七六年には党員総数が三十万名に増加したのに対しモンゴル族党員は二万四千名へ減少したほどである。また文革前、自治区党政軍のトップはモンゴル族のウランフであったが、文革期の革命委員会主任に漢族指導者が着任して以来、現在も政府を除く党と軍のトップは漢族指導者が担当している。

文革終結から三十年たっても民族運動には文革が影響している。その一因は天安門事件前後から民族問題に対する「敵対矛盾」認識が強化され、八〇年代に進められた文革問題の清算過程が棚上げされた点にある。 九〇年代に民族運動が顕在化したのは国際環境の変化だけではなく、国内の歴史問題が作用したからでもあった。
 

(静岡県立大学国際関係学部助教授)


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http://www.innermongolia.org/
.南モンゴル人権情報センター日本語版ホームページ(二〇〇六年六月九日アクセス)。
http://www.smhric.org/TokyoSengen.pdf
.日本でなじみのある「内モンゴル」や「外モンゴル」という言い方は、中国に視点を置いてモンゴル地域を捉えた表現であり、モンゴル内部では「南モンゴル」や「北モンゴル」という概念が用いられる。民族運動の文脈で「南モンゴル」という表現が使われる場合には、それ自体に政治性が付与されているのである。

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