フフホト(呼和浩特)からバヤンノール(巴彦 爾)、アラシャー(阿拉善)・アイマグ(盟)を目指し、モニン(陰山)山脈の麓から西に向かっていた。車窓から見えるモンゴルの大地を懐かしみ「なんて美しいところなんだ」とため息ももらした。同行していた友人は、私の気持ちを理解してくれていた。「そこの山の南斜面に知人が宿営してるんだ。お茶を飲んで行こう」と言った。「サェン・ヤウジ・バェノー?ゲルの中へどうぞ」と主人のTさんは私たちを迎え入れてくれた。
遠くから来て長旅をしている私たちのことを聞き知っているようだった。隣家で羊をほふり、食事を準備してくれた。
杯を交わしながら「良い年になりましたね。こんなにすばらしい土地の主人として生まれた皆さんは幸運ですよ」と喜んでいると、突然1台の車が到着し男女合わせて5人が降りた。
グループのリーダー格は、林文 という大柄の漢人商人で、年輩のモンゴル人は道案内、若くて美しい2人の女性は、その商人の連れのようである。林は、女性の1人に向かって「一曲歌え」と言うと、彼女は杯を持って歌いはじめた。彼女は、ウーシン(烏宙)ホショー(旗)のオラーンムチル歌舞団のプロの歌手だったらしい。
すばらしい歌、美しい声、もったいない女性!
もう1人の干したナツメのような顔をした色黒の漢人は、上座に陣取り、ごちそうを食べている。聞くところでは、色黒の漢人はアジア最大のゴルフ場建設用地を探しているという。
故郷や歴史、伝統について語り合っていた宴は、モンゴルの歌と漢語の「飲め、飲もう、乾杯してもう一杯」なんてのがごちゃごちゃとしたものになってしまった。
ま、それがどうしたって言うのか。初めての光景じゃあるまいし。まるで見たこともないように、羊のようにおとなしく魚のように音も立てずじっと座っていた。
突然何がおこったのかわからなかった。商人の林が、酒の入った杯を持って主人のTさんに酒を強要し「飲め! 飲まないと、また、おまらをここから50キロ北の方に追っ払ってやるぞ!」( 老師渇!小心我們在把 們往北 五十公里!)と言って、隣に座らせた色黒の漢人に向かって「おれたちは、まず土地の一部を買い占めて、それから蚕が葉っぱを食うように広げていけばいい!」( 們先占 一塊地。然后漸漸蚕食)。私は自分の目も耳も信じられなくなっていた。道案内の古老に「蚕食」というのはどんな意味かと確認すると「蚕が葉っぱを食べ尽くす」という意味だと説明した。もう自制できなくなった。「バカなことを言うな!モンゴル人をバカにするにもほどがあるぞ!」と、林をどなりつけた。私の手はふるえていた。
林は私が怒り狂っているのを見て「おまえも知らないんだな。党の政策や国の規定がそうなってるんだよ!」(好了、好了! 不 、党的政策国家規定就是 様!)と自信たっぷりな調子で声を荒げた。
それ以来、何日も眠れなくなった。今でも昆虫を生きたまま飲み込んだような気分から抜け出ていない。 (2002.9.9付メールより,
原文はラテン文字モンゴル語)