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モンゴル人反体制活動家が北京で逮捕
内モンゴルから亡命した反体制活動家のジャランバヤル・ソヨルト(Jaranbayar
Soyolt)が、2008年1月6日、北京首都空港で逮捕された。モンゴル国のモン・エネルギオ社社長プレブスレン、そのビジネス・パートナーのバトエルデネらと共に出張中の出来事だった。3人は、1月6日11時45分ウランバートル発のエアチャイナ機にて同日13時、北京空港に到着した。
ソヨルトの夫人ガントヤーによると、プレブスレン、バトエルデネの2人が空港税関を先に通過した。ところが、後に続いていたソヨルトがいつまで待っても出て来なかった。2人が事情を聞くため税関カウンターに戻ったところ、ソヨルトが手錠をかけられ5人の警官に囲まれているのを目撃したという。2人を見つけたソヨルトが「中国警察に逮捕された。家族とモンゴル国大使館にすぐに連絡してほしい」と言ったので、プレブスレンはすぐにソヨルトの家族に連絡をとったという。
ソヨルトの家族(ウランバートル在住)は、ソヨルトの即時釈放を請願する文書をモンゴル国外務省に提出した。同外務省は即座に中国当局と連絡をとり、外交担当官のボルドーにこの問題を担当させたという。
ガントヤーによると、1月11日、ソヨルトは中国当局によって北京からプレブスレンに電話連絡させられ、「パスポートと書類の問題で北京にまだ勾留されている。事態を悪化させないためこの件が海外メディアへ漏れないようして欲しい」と依頼してきた。そのため、家族や友人たちは、ごく最近まで事件の経過を静かに見守っていたが、モンゴル国政府が事件に関連して出した公文書や要求が中国政府に完全に無視されたため、公表するに至った。
1月28日、ガントヤーは、プレブスレンに伴われて北京に赴き、在中国モンゴル国大使館職員と面談した。1月31日にはソヨルトの家族に代わって大使館のバドマーニャンボー領事とプレブスレンが北京の警察当局を訪問して幹部と面談、この事件に高い関心を寄せていることを表明した。北京の警察当局は、ソヨルトの所在に関する情報がないことを以前と同様繰り返したが、2008年1月6日北京首都空港から中国に入国していることだけは認めた。
南モンゴル人権情報センター(SMHRIC)は、バドマーニャンボー領事と連絡をとったが、同領事は「電話で説明するのは適当ではないだろう」と、この件に関する情報の提供を拒否した。
南モンゴル人権情報センターは、北京空港公安部と税関にも電話連絡をとったが、この件についてのあらゆる情報の提供を拒否された。
ソヨルトは、長期に渡り人権を守る活動を続けてきた。モンゴル国に拠点を置く亡命者団体の設立者のひとりで、内モンゴルのシリンゴル・アイマグ(盟)生まれである。1981年、地元モンゴル人を無視して内モンゴルに60万人の漢人を移住する中国政府の計画に対し、モンゴル人学生・文化人が反対運動を起こしたが、そのリーダーのひとりである。1992年、モンゴル国に亡命、中国の民族政策を批判し、中国におけるモンゴル人の人権を守る活動を続けてきた。1993年、ウランバートルで開催された「第一回世界モンゴル民族会議」に出席、内モンゴルにおける中国の人権侵害を批判するスピーチをおこない、「中国の民族政策は、民族の浄化と文化の破壊行為である」と断罪した。ソヨルトは、後にモンゴル国で政治亡命し、1997年「モンゴル国帰化法」によってモンゴル国籍となった。
「海外における内モンゴル分離活動団体概要」という中国公安部内部文書(詳細については、南モンゴル人権情報センターのウェブサイト参照http://www.smhric.org/news_39.htm
)
には、ソヨルトについて「内モンゴル独立を主張する亡命者団体「内モンゴル人民党」ウランバートル支部の設立者でリーダー。世界モンゴル復興運動連盟事務局長で、関連資料によると、その組織は、チベット、ウイグルの青年および漢人の民主団体と連携し、モンゴル民族の統一を達成する」などと掲載されている(文中敬称略)。
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